No.345 2014年11月2日
「主が共におられて・・・」 牧師 中谷美津雄
主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。 (創39:2、3)
神様は初めに人を造られたとき、「人が、ひとりでいるのは良くない」とおっしゃって、彼にふさわしい助け手をお造りになったように、人には誰にでも友が必要です。しかし、良い友もあれば悪友もあって、良い友を選ぶことの重要性を中国のことわざは、「朱に交われば赤くなる」と表現しました
試練 ヨセフはヤコブの11番目の男子で、父の寵愛を受けて育ちました。うぬぼれ屋さんのヨセフに嫉妬した兄たちは彼を殺そうとしましたが、仲間割れして未遂に終わり、丁度通りかかったキャラバン隊に売られ、奴隷としてエジプトに下りました。助け合うために生まれる(箴言17:17)はずの兄弟から裏切られ捨てられたヨセフの不運不幸は測り知れないほどでした。遠い異国の地に追いやられ、頼る人もなく、仕えられて育った者が仕える奴隷にされたのですから、その試練の大きさは測り知れず、人間不信と孤独の深淵に落ちこんで当然でした。
幸運 心と行いの関係について考えると、心が沈んでいたら、行動がうまく行きません。それは私たちの毎日の生活からくる実感です。もしヨセフが自分の不幸を嘆き、兄たちへの怨念にこだわっていたら、心は沈み、顔は曇り、することはすべて失敗したでしょう。ところが、彼のすることすべてが成功し、うまく行ったのでした。その原因を聖書は 「主がともにおられたので」 と証しています。試練の時もともにいてくださるお方がおられる。臨在の主こそ、祝福の源泉、幸運を開く鍵なのです。
信仰 主は霊なるお方ですから、ともにおられる主を、ヨセフは肉眼で見たり、手で触れたり、御声を耳で聞くこともありませんでした。では、どのようにして、彼はともにいてくださる主を知ったのでしょうか。それは心や魂で受け止めた、言い換えれば、信仰によって受け止めたのです。兄弟たちに裏切られ、両親から引き裂かれるような辛く厳しい試練に会っても、主はともにいてくださると、ヨセフは信じた。主の臨在を信仰によって受け止めたのです。
勝利 その信仰によって、この後、直面した主人の妻による罪の誘惑を退け、ヨセフの解き明かした夢の通りに解放された囚人仲間から忘れさられても忍耐をして待つことができました。主は私ともともにいてくださる。あなたの試練のときにも共にいてくださいます。ともにいてくださる主を信じて、主に祈り、主に委ねてどこまでも従いましょう。