No.344 2014年10月5日

「仕えられるためではなく、仕えるために」  中谷美津雄 牧師

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

                                  (マルコ1045

冒頭のことばはマルコの福音書の中心聖句です。イエス・キリストのご生涯の中心テーマとも言えるでしょう。ダニエルが預言した救い主 「人の子」 キリスト・イエスは、「仕えられるためではなく、仕えるために」生き、死なれました。

このことばを語られたのは、ふたりの弟子たちがイエス・キリストの左右の席に着く栄誉を願い出て、それを知った弟子たちが腹を立てたときのことでした。イエス様は、真の神を知らない支配者たちと同じ名誉欲や権力欲が弟子たちの心の中にも潜んでいることを指摘し注意され、弟子たちが取るべき姿勢、しもべとなって仕えるように命じた上で、先のことばを語り、ご自身の模範を示されたのでした。

イエス・キリストのご生涯は、正にしもべとなって仕える奉仕の生涯でした。その姿を模範として弟子たちも奉仕の生涯を歩むよう命じられたのです。

使命に仕える  イエス・キリストは神から遣わされたメシヤ、救い主としての使命に仕えられました。福音を宣べ伝え、神の国の真理を教え、病人を癒し、悪霊につかれた人を解放する宣教の使命に生きる。そこには大きな喜びがあったに違いありません。

しかし、それは決して楽しいだけのものではなく、文字通りいのち懸けの厳しいものでした。サタンの誘惑があり、妬みに燃える敵対勢力の激しい迫害がありました。それでも神様からの使命に仕えて生きることには、いのちを懸けるだけの価値があったのです。

人々に仕える  イエス様が具体的に仕えられた人々は罪人たちでした。罪人を救い、仕えられるためではなく仕える者とし、自分の栄光のためでなく神様の栄光のために生きる者へと新しく造り変えるために仕えてくださったのです。

仕える力は神から  「奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい(Ⅰペテロ4:11)。」 このみことばの通りです。神様は奉仕の力を私たちに豊かに与えてくださいます。罪のためにその力を失うことがありますが、悔い改めるとき、救いの喜びが返り、喜んで仕える霊が支えてくださいます(詩51:12)。 

イエス様は、全生涯を人々に仕える奉仕のために捧げておられましたから、一つひとつの奉仕を喜んで捧げることができました。イエス・キリストを信じて救いの喜びが与えられた私たちも同じです。贖われたいのちを 「仕えられるためではなく、仕えるために」 捧げ、神様の栄光を表すことを喜ぶ者とならせて頂きましょう。