NO.341 2014年5月25日 

「十日間、ともに祈りに専念して」 中谷美津雄 牧師

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。  (使徒114)

今年はペンテコステ68日に迎えます。ペンテコステとは、ギリシャ語で 「第50」 を意味し、新約聖書ではイエス・キリストが復活されたイースターから数えて50日目を指しています。その日、いっしょに集まって祈っていた弟子たちに聖霊が下り、キリストの証人となって他国のことばで証しし出したので、聖霊降臨日とも言われます。また、その日ペテロが語ったイエス様の十字架と復活のメッセージを聞いて罪を悔い改めイエス様をキリストと信じた三千人もの人々がバプテスマを受けて弟子に加えられたので、教会の誕生日とも言われます。それは神様の救済計画の中で、エルサレムから地の果てを目指す世界宣教開始日でもあります。

 

イエス・キリストは昇天直前に、「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と命じ、彼らがキリストの証人となって、主から託された世界宣教の使命を果たすための動力として、聖霊が与えられると約束されました。

 

使命に生きるには聖霊の満たしが必要   弟子たちは復活されたイエス様と出会って信仰を回復しました。イエス様が十字架に死なれたのは私の罪のためであったと分かり、死者の中から復活されたイエス様こそ神の御子であることを確信しました。更に、全世界にイエス・キリストの罪の赦しと永遠のいのちの福音を伝えるという、生きる使命も受けていました。しかし、それだけでは足りませんでした。キリストとともに歩んだ三年半の伝道経験があり、十字架に死に三日目に復活されたキリストと出会い、福音理解と信仰もありましたが、約束の聖霊を受け、聖霊に満たされるのでなければ、キリストの証人としての使命を果たすことはできないのでした。キリスト者も同じ経験をします。

 

ともに祈りに専念した十日間   聖霊が与えられることは主の約束でしたが、祈らなくても聖霊をくださるというのではなく、求める者に聖霊をくださるというものでした(ルカ11:13)。ですから、約束のことばを残してイエス様が昇天した後、弟子たちはいっしょに集まり、「みな心を合わせ、祈りに専念していた」のでした。祈りに専念するとは、祈りに忙しかったということだそうです。忙しくて祈れないという言い訳をしがちですが、自分の知恵や力だけでは主からの使命を果たすことができないと知っていた彼らは約束の聖霊を求めて、ペンテコステの日までの十日間祈りに忙しかったのです。主はこの祈りに応えて聖霊を降し、彼らを聖霊で満たし、キリストの証人とされました。

 

私たちもキリストの証人としての使命に生きるためには聖霊の満たしが必要です。ともに教会に集まり、心を合わせて祈りに専念しましょう。