NO.340 2014年4月27日

「御霊の風が起きるように」  中谷美津雄 牧師

 

 

 

あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。 コリント10:31

 

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33

 

春は新しい出発の季節、花々は競い咲き、小鳥たちは祝福の歌を歌って門出を祝います。社会人一年生の若者たちは、すねかじりを卒業していよいよ独り立ち。感謝の心とチャレンジする意欲、謙虚に学び聞き従う心をもって、行く所どころで爽風を起こして欲しいと思います。

 

花畑を通る風が花の香りを運び、海風が潮の香りを運ぶように、風は吹く先々に風上にあるものを運びます。私たちはいったいどんな香りを運んでいるでしょうか。

 

神の国を第一に   風上に神様を置くこと、出発点で神様と交わることです。日毎のデボーションと週毎の礼拝の生活を確立することです。イエス様をお迎えしたとき、イエス様の足もとでみことばに聞き入ったマリヤのように、礼拝を最優先して選び取る信仰にしっかりと立つことです。一日の時間、一週間の時間をどのように使うかによって、見えない信仰が見えるようになってくるとも言えるでしょう。日曜日に入ってくる様々な事柄について、「日曜日は教会に行く、それがわたしにとってどうしても必要な生き方だから」 と言って調整することが、信仰を証しする機会ともなるでしょう。この世と調子を合わせていると、ミイラ取りがミイラになってしまいます。神の国と神の義をまず第一に求めて、御霊の風を吹かせましょう。

 

神の栄光を現すために   不断に息をしなければ生きられないように、日常的に飲食をしなければ人は生きることはできません。神を信じていてもいなくても、キリスト者であってもなくっても、その他のどんな違いがあったとしても、人が人として生きている、否、生かされている限りは飲べたり飲んだりします。飲食は人間のいのち、人間としての存在そのものに関わる重要事項です。

 

人はある意味で飲食のために働きます。しかし、飲食は人生の目的ではありません。一生の間に人は数え切れない回数飲食を繰り返しながら、生きる目的を果たそうとします。その意味で、飲食は人生の目的を果たすための必要不可欠の重要な手段です。

 

飲食というこのように重要な、しかも、日常的なごくありふれた事柄を通して神様の栄光を現しなさいとみことばは勧めています。イスラム教徒のように戒律を守る者ではなく、キリスト者はむしろ自由の律法を守る者です。食事のために神に祈ることで信仰を証しする機会が生まれます。その他何をするにも神様の栄光を現すように心がけるとき、神様が御霊の風を送ってくださると信じます。